大判例

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東京地方裁判所 昭和55年(タ)471号 判決

原告 甲野太郎

右訴訟代理人弁護士 梅澤幸二郎

被告 甲野花子

右訴訟代理人弁護士 脇坂治國

同 堀口真一

主文

一  原告と被告とを離婚する。

二  原告と被告との間の長女一枝(昭和五二年八月一日生)の親権者を被告と定める。

三  原告のその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用はこれを二分し、その一を原告の、その余を被告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  主文第一、二項同旨

2  被告は、原告に対し、金一〇〇万円を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  原告は、昭和二四年二月二五日、亡甲野春夫、夏子の長男として出生し、同四八年九月に東京大学医学部を卒業した脳神経外科医であり、被告は同二四年八月一四日、乙山松夫、竹子の二女として出生し、同四九年三月日本大学医学部を卒業した小児科医である。

2  原告と被告は、同五〇年一二月ころ見合をし、同五一年三月結納を交し、同年五月二八日婚姻の届出をし、同五二年八月一日長女一枝を儲けた。

3  原被告の婚姻は、以下に述べるような被告の行為により破綻し、回復の見込がない。

(一) 被告は、新婚旅行の際、自己の整理能力の無さのため免許証を携帯できなかった。

(二) 被告は、文京区白山に同居中、何度も風呂を沸かし放しにした。原告はタイマーを買って来たが、被告はこれを使おうとせず失敗を繰り返した。被告は、家事を同時にさばくことができず、かつ、このような自己の欠点を認識することができず、その欠点をカバーしようとする努力をしない。

(三) 同五一年九月下旬、原被告は原告留学のため西ドイツのキールへ発ったのであるが、その際、被告は自分の荷物をまとめることができず、被告の母、姉に手伝ってもらった。原告の荷造りについては原告の母が手伝ったのであるが、二年以上経った後、荷造りを原告の母が手伝ったことが不満であるかのような発言をした。このとおり、自分の能力がないため生じた事態についての認識に欠け、他人の好意に対し感謝することができない。

(四) ドイツ滞在中、被告は汚れた洗濯物を放置し、下着の替えがなくなって原告が自分で下着を洗濯せざるを得なかった。しかも原告が下着を洗うと被告は文句を言い、被告が下着を整理する能力がないから生じた事態であるにもかかわらず、自らの非を認めようとしない。

(五) ドイツ滞在中、被告は、原告が好意で買物をして来ても感謝したことはなく、怒ったり、一緒に買物をしたかったなどと言うので、電話で被告を誘うと断るなど、原告がどのような態度をとっても被告は気持を変え必ず異存を唱える。

(六) 外科医においては、手術中、血液が術衣に浸透して血液が下着に付着することもまれならず起こる。原告にこのようなことが起きたとき、血液のついた下着を見つけた被告は、原告は浮気をしてきたとなじったことがあり、猜疑心が非常に強い。

(七) ドイツ滞在中に原被告が他所を訪問する際、被告はしばしば約束の時刻に遅れ、キール大学における原告の主任教授の家へ行く時は、出発三〇分前になって突然和服を着ると言い出し、約束の時刻に一時間半も遅れたうえ、左前に着て行った。このように時間を守らない非常識さのうえ、無計画で突然予想しないことを言って原告をしばしば当惑させた。

(八) 同五二年五月、原被告はドイツ国内を旅行したが、この旅行中、被告は毎朝出立のための準備が人並み以上に遅く、けんかをすると被告は妊娠中の人間を旅行に連れて行ったと文句を言った。

(九) 原告が、被告を被告の知らない場所へ案内すると、原告が女性と同所へ行ったものと邪推し、なぜ知っているか等と怒鳴る。これは、被告が猜疑心の強い異常な性格の持主であることを示している。

(一〇) 被告は、小児科医でありながら、一枝の状態を診断できず、ドイツにおいて小児科医へ行ったがその医者の言うことも信用できず、小児科医である被告の父に聞くこともせず、かといって被告自身が判断することもできない。また哺乳瓶の消毒に異常に神経質で、一歳になってから父親に説得されてようやく消毒をやめた。

(一一) 同五二年七月、キールの原被告方を原告の母が訪れていたとき、原告が、勤務先を退出してから帰宅までの所要時間を超えて帰宅したことがあった。このとき、被告は、原告の母に対し、原告が散歩でもしたらよいと言っていたのに、帰宅するや、何をしていたかと詰問し、挙げ句女と会っていたとまで疑って夫婦喧嘩となった。被告は言葉と行動が全く違い、普通の夫婦であれば喧嘩にならないことまで喧嘩にしてしまう。

(一二) 被告は、日本円にして約六万円相当のキャビアを同五一年一二月に買ったまま放置し、同五二年七月、被告が出産のため帰国する際、原告はキャビアを整理しておくよう被告に言って、キャビアはどの位あるのか被告に尋ねたところ、被告は台所からキャビアを持って来たが、それは一部だけであり、被告は自分の失敗を原告に隠そうとした。結局、被告が荷造りをし、原告が航空便として差出したのであるが、被告は、小一時間もあればできる荷造りを半年以上も放置していた。

(一三) 同五三年五月、原告がスイスチューリッヒ大学へ講習のため赴いた際、原告の母、被告、一枝も同道し、講習後スイス・オーストリアを自動車で旅行した。被告はロンドンを希望していたので、被告は、原告が自分の思うとおりにする、被告の意見を聞いてくれないとなじったが、原告は、スイスへ行くのだからスイス、オーストリアを旅行すると常識的、合理的判断をしたまでである。また、この旅行でも、被告は出発予定時刻になっても自分の荷物がまとまっていることはなく、原告が早く仕度するように言うと故意に遅らせ、手伝おうとすると怒り、予定時刻を二時間位過ぎることも多かった。

(一四) 同年七月ころ、原被告が喧嘩となったので、原告は馬鹿馬鹿しいと思い黙ってしまい、ベットに寝たところ、被告は原告を起こそうとして原告の顔に擦過傷をつくり、原告はやむを得ず勤務を三日休んだこともある。

(一五) 同年八月一四日、原被告夫婦は既に喧嘩の絶えない状態であったにもかかわらず、同日は被告の誕生日であったのでプレゼントとして巻きスカートを買って来た。ところが、被告は他の物が欲しかったと言って受け取らなかった。また同日、原告が帰国の荷物をまとめていたところ、雑誌は読み終ったならば捨てるものであるなどと難癖をつけ、一枝が寝ているから荷造りをするなと原告の梱包作業を妨害し、かつ、被告の片づけを原告に手伝えと矛盾したことを言い、結局被告自身は自分の荷造りや整理を全くしないで終った。

(一六) 同年八月中ごろ、被告の両親と妹がキールに来て、原被告とともにヨーロッパ旅行に出かけようとしているとき、被告が忘れ物を思い出し一人で家に入った。空港で、原告が鍵を渡すよう求めたところ、鍵は出て来ず、被告は捜そうとしないので、原告がアパートの管理人に電話をして、鍵が鍵穴に差し込んだままになっていたことがわかった。このように被告は自己の失敗を認めないことが多く、物を紛失しても捜そうとしないこともあった。

(一七) 原被告は、同年九月二二日、原告は英語研修のためロンドンへ、被告と一枝は姉のいるスウェーデンウプサラ市へ出発する予定であったが、被告は荷造りや家具の整理などの準備を怠り、原告が手伝おうとすると拒絶し、結局予定日に出発できず、九月末日にキールを発った。原告は先に出発する際接着剤つきのレッテルに宛先をタイプライティングしたものを数十枚作り、置いていったが、被告はこれを全く使用せず、原告の好意、協力を無視した。キールに残った被告は一枝をかかえて短時日に単身で荷造りをしなければならず、借家の付嘱品である寝具をコインランドリーで紛失するなどし、同年一〇月下旬、原告がウプサラを訪れると、キールの借家の管理人から被告宛に紛失した寝具の損害賠償を要求する手紙が届いており、原告が問題を解決すべく被告にこの手紙を見せるよう要求すると、被告は、自分で解決すると言い張って強く拒絶し、原告を困惑させた。このように被告は、原告が協力しようとしても絶対に同意しない。

(一八) 原被告らは同年一〇月二九日帰国し、被告と一枝は被告の父乙山松夫方に、原告は原告の母方に帰った。原告は、被告に対し、被告の母方にて共に暮すよう伝えたところ、被告は、原告の家でなく、原告の母の家であるという理由でこれを拒否した。同年一一月下旬、原告は右乙山方において、被告と今後の生活方針等について話し合ったが、被告は、これまでの生活態度を反省しないばかりか、原告の生活態度を改めるように一方的に主張した。また、被告が、重要な葉書を到着した翌日紛失して平然としているので、原告は被告としばらく別居せざるをえないものと判断した。

(一九) 原告と被告は話し合いによる合意のうえ、同五四年三月一一日から東京都目黒区のA官舎で同居した。しかし、被告の家庭における基本的態度は変らず、部屋や台所は乱雑な状態であり、食器洗いや洗濯は滞りがちであり、必要に迫られ原告が食器洗いや洗濯を行おうとすると被告は大声を上げて拒絶し、これがもとで夫婦間に口争いがおこった。被告は原告に帰宅時間を電話するように言ったので、原告はそれに従いこれから帰宅する旨電話したところ、今一枝が寝ついたところなので、電話しないよう叱責された。原告が被告の言に従っても被告は逆のことを言って原告を当惑させる。

(二〇) 同居後も原被告夫婦の不仲、争いが継続するため、原告はこのままでは勤務にもさしつかえ、一枝にも悪影響が及ぶと考え、同年八月五日単身官舎を出、被告と別居している。

(二一) 被告は書物に書かれてあることをうのみにする。一枝の体重が育児書に書かれているとおりに増加しないからおかしいと考える。そばつゆがうすいと言っても、本に書いてあるとおり作ったのだからそんなはずはないと言ってうすいことを認めず、離乳食用のおろし金を消毒するのに育児書に書いてあるとおり正確に四分間の消毒をしなければならないと思い込む。被告には四分間位を目安として消毒すればよいという考えはないのである。

(二二) 被告が、現金や貴金属、腕時計を紛失したとき、自分の不注意を全く認めず、泥棒が入ったとか被告を困らせようとして原告が隠したのでしょうと言ったり、被告の両親から贈られた一〇〇〇マルクを紛失したときは原告が盗んだのではないかと疑ったことすらあった。右言辞が夫婦間で許されるはずはないし、被告が自己の落度について責任転嫁をするようでは夫婦としての生活は不可能である。

(二三) 被告は興奮すると常軌を逸した行動に出る。原告らとスイス・オーストリアを旅行中、ホテルで大声を出したり、自衛隊官舎に同居中、近隣に夫婦喧嘩が聞こえるようわざわざ窓を開け放って、大声で怒鳴ったりした。ドイツ滞在中被告は部屋に飾ってある原被告夫婦の旅行の記念写真を破り捨てたり、飾ってあったクリスマスツリーを破壊したりしたし、原告が国際電話をしようとしたとき妨害しようとして電話器のコードを引き抜き、電話器を破壊した。同五四年夏、病気療養中の原告の伯母を見舞うため、原告は原告の母とA官舎の門前で待ち合わせ、同人を家に連れて行ったところ、被告は、原告の母に対し、「何をしに来たのですか。来ないで下さいと言ったでしょ。」と怒鳴ったうえ、見舞いに行かせまいとして原告の靴を玄関の脇にある浴室に持っていき、水の入っている湯船につけてしまった。原告は押入にしまってあった残り一足の靴を外へ出したところ、被告がそれを奪おうとしてもみ合いになったが、原告はその靴をはいて外出し、他の靴は全部水につけられた。

(二四) 被告は、原告に対して、夫婦関係円満調整の調停を申し立てたが、調停期間中、調停期日の内外を問わず正常な関係を復活させるべき努力をしないばかりか、かえって原告と被告が同居しても協力して夫婦生活を続けることはできないという非協調的態度に終始し、しかも、被告は、原告に対し、被告の悪いところを指摘せよというばかりで自省せず、かえって原告の非を言うのみであった。

(二五) 同五五年二月七日の調停期日に、原告が婚姻費用を毎月二五日かぎり七万円支払う旨の合意が成立し、同月二五日までに振込口座を通知することになっていたが、二四日になっても連絡が入らず、原告代理人が被告の調停申立の際の代理人に連絡したところ、二五日の夕方右代理人から通知を受けた。早速二六日に振込んだところ、口座名義人が乙山花子であったため直ちには振込まれず、結局送金のために二度手間を踏んだ。被告のだらしなさのために如何に原告が困却するかの証左である。また、被告は調停中離婚したくないと言っておきながら旧姓名義の口座を通知してきたのであり、婚姻生活の継続を真剣に望んでいるとは思われない。この件につき、被告は自己の連絡が遅れたことを反省することがなく、自己の非を反省しない態度は依然として続いた。

(二六) 原告は、同五五年七月末日でAを退職するので、当時被告が居住していた官舎を明渡してほしいと伝えたところ、被告は理由を明らかにしないで八月中は居たいと言いはり、実際には同年八月六日に話し合いがつくと同月一一日には明渡しが終っていたのであり、五日でできる明渡しを理由もなく引きのばしたのであって、被告には全く協調する気がないことは明らかである。

(二七) 原告と被告との間で官舎明渡に関し、原告は引越に関する概算費用として三七万四〇〇〇円を支払い後に精算すること、原告は同年八月支払分から同年一〇月支払分まで三か月間の家賃を六万円を限度として支払うこと、被告は引越に関する諸費用の領収書、借家契約書を原告に見せること等を約した。その後、被告は、原告を信用できないから家賃三か月分を一度に先払いしてほしいという希望を伝えてきたが、原告は生活費を毎月送金していたのであり、何を根拠に信用できないというのか不可解であり、婚姻継続を望む被告が右言辞を述べたことは、被告が協調性のない猜疑心の強い性格であることをあらわしている。また、被告は、諸費用の領収証や借家契約書を現在まで原告に見せていない。さらに、被告は家賃四万五〇〇〇円のアパートに入居したのであって、原告から一〇万五〇〇〇円を超過受領したことになり、被告は離婚したくないと言っておきながら、原告を裏切り、ますます原告の気持を被告から遠ざける態度に出ていて、協調性のない、信用のおけない不誠実な人間であることが明らかである。

(二八) 被告は、同五三年五月ころ、原告の母に対し、けんか続きの夫婦生活をすることは馬鹿馬鹿しいと何度も言ったこと、西ドイツを発つ時、原告の荷物は原告の母方へ、被告と一枝の荷物は被告の両親方へ送ると被告が言い出し、実際にもそのように荷物を送ったこと、帰国後の別居中に原告が被告の両親方を訪れた際、被告が、離婚するかもしれないから男がいることを隣近所に知られたくないとの理由で、原告に対し、窓から顔を出してはいけないと言ったことから、被告が離婚もやむを得ないと考えていることがわかるし、客観的にも、被告の周囲の人間が離婚の判断をしているとおり、破綻している。

4  以上の事実は、民法七七〇条一項五号に該当するので離婚を求め、かつ、原告は、被告の婚姻生活中の右行為により言いしれぬ苦痛を受けたから慰藉料として金一〇〇万円を請求する。

二  請求の原因に対する認否

1  請求の原因12の事実は認める。

2  同3前段の事実は否認する。

(一) 同3(一)の事実は、「自己の整理能力の無さのため」との事実を否認し、その余の点は認める。被告はいわゆるペーパードライバーであって、特に非難される程のことではない。

(二) 同3(二)の事実のうち、原告がタイマーを買って来た事実は知らず、その余の事実は否認する。被告が風呂を沸し放しにしたことはあるが一回だけである。

(三) 同3(三)の事実は否認する。

(四) 同3(四)の事実は否認する。

(五) 同3(五) の事実のうち、被告が一緒に買物をしたかったと言ったことは認め、その余の事実は否認する。

(六) 同3(六)の事実のうち、外科医においては、手術中、血液が術衣に浸透して血液が下着に付着することもまれならず起こることは知らず、その余の事実は否認する。

(七) 同3(七)の事実のうち、キール大学における原告の主任教授の家へ行くときは、約束の時刻に一時間半も遅刻したうえ左前に着て行った事実は認めるが、その余の事実は否認する。出発三〇分前に、原告が和服を着て行くよう言い出したので、原被告とも簡単に着がえが出きると思って着がえ始めたところ予想外に難しく大巾に遅刻することになったのが真相である。

(八) 同3(八)の事実は否認する。

(九) 同3(九)の事実は否認する。

(一〇) 同3(一〇)の事実のうち、被告が小児科医でありながら、ドイツにおいて小児科医へ行ったこと、哺乳瓶の消毒に異常に神経質で、一歳になってから父親に説得されてようやく消毒をやめたことは認めるが、その余の事実は否認する。被告は、一枝の状態を診断できないわけではなかったが、冷静に診断していない虞れもあると考え、念のため現地の医者に診てもらったのであり薬を買うには医師の処方箋が必要であるとの事情もあった。また一枝は被告にとって初めての子供であったので、万全を期して哺乳瓶の消毒をしたまでであり、有害なことではない。

(一一) 同3(一一)の事実は否認する。

(一二) 同3(一二)の事実のうち、被告が日本円にして約六万円相当のキャビアを買ったことは認め、その余の事実は否認する。被告はキャビアを買い、これを自分の両親に送り、両親を通して原被告がこれまで世話になった人に贈ってもらうつもりであったが、原告の許可なしに買い込んでしまったことを悔み、迷ったあげく、このことを原告に報告した。すると原告は怒って何度も被告を責めたので被告はその処置に窮し、そのままにしておく他はなかった。原告が、キャビアを持って来てみなさいと命じたとき、被告は原告の母にサンプルとして見せるものと思い、その一部を持って行ったのであって、隠す意図はなかった。なお、原告が繰り返し責めるので、出産のため帰国した際、被告の母から謝罪とキャビアの代金を送金している。

(一三) 同3(一三)の事実のうち、同五三年五月、原告がスイスチューリッヒ大学へ講習のため赴いた際、原告の母、被告、一枝も同道し、講習後スイス、オーストリアを自動車で旅行したこと、被告はロンドンを希望したことは認めるが、原告がスイスへ行くのだからスイス、ナーストリアを旅行すると常識的、合理的判断をしたことは知らず、その余の事実は否認する。被告は、行き先について抗議したことはなく、一歳余の乳児を連れての旅行なのだから朝から晩まで自動車を走らせる様な日程でなく、ゆったりしたスケジュールにして欲しいと述べたことはあった。

(一四) 同3(一四)の事実のうち、同年七月ころ、原被告が喧嘩となったこと、原告が勤務を三日休んだことは認め、その余の事実は否認する。夫婦喧嘩となったあと、原告が被告を力いっぱい突きとばしたりしたので、被告も反撃して原告をひっかく結果となってしまった。

(一五) 同3(一五)の事実のうち、同年八月一四日、原被告夫婦は既に喧嘩の絶えない状態であったにもかかわらず、同日は被告の誕生日であったので、原告がプレゼントとして巻きスカートを買ってきたこと、一枝が寝ているから荷造りするなと言ったこと、被告の片づけを原告に手伝ってくれる様言ったことは認めるがその余の事実は否認する。被告は、他の物が欲しいと言ったのではなく、物ではなくあなたの心が欲しいと言ったのである。雑誌等については必要なもののみを選んで持ち返るのではいけないのかと提案しただけであり、原告の作業を妨害したことはない。当時原告は、勤務を辞めていたにもかかわらず、昼間のうちは自分一人でいずれかへ外出し、夜荷造りを始める状態であったので、何故昼間に荷造りしないのかということで夫婦喧嘩をしたのであり、原告の言い分は夫婦喧嘩になった後の被告の言葉を寄せ集めているにすぎない。

(一六) 同3(一六)の事実のうち、空港で、原告が鍵を渡すよう求めたところ鍵は出て来ず、被告は捜そうとしないので、原告がアパートの管理人に電話をして鍵が鍵穴に差し込んだままになっていたことがわかったことは認め、その余の事実は否認する。当時、原告と被告とは連日の如く衝突を繰り返し、また、原告の被告に対する暴力もあったため、被告は精神的に疲れ果て、神経が弱り、鍵を忘れる等の細い失敗を重ねた。一方原告は被告の失敗を把えて攻撃し、些細なことでも被告を責める傾向が強まった。

(一七) 同3(一七)の事実のうち、同年九月二二日、原告は英語研修のためロンドンへ、被告と一枝は姉のいるスウェーデンウプサラ市へ出発する予定であったこと、被告が、結局予定日に出発できず、九月末日にキールを発ったこと、原告は先に出発する際接着剤付きのレッテルに宛先をタイプライティングしたものを数十枚作り置いていったが、被告はこれを全く使用せず、原告の好意、協力を無視したこと、キールに残った被告は一枝をかかえて短時日に単身で荷造りをしなければならず、借家の付属品である寝具をコインランドリーで紛失するなどし、同年一〇月下旬、原告がウプサラを訪れると、キールの借家の管理人から被告宛に紛失した寝具の損害賠償を要求する手紙が届いていたことは認めるがその余の事実は否認する。原告作成のレッテルを使用しなかったのは、夫婦喧嘩の際のことであり、原告が恩着せがましく置いていったと感じられたため行きがかり上素直に使用できなかったからである。キールを発つ際は一人で乳児を抱えての出発であったため、時間的、体力的に余裕がなかった。

(一八) 同3(一八)の事実のうち、原被告らは同年一〇月二九日帰国し、被告と一枝は、被告の父乙山松夫方に、原告は原告の母方に帰ったこと、同年一一月下旬、原告は右乙山方において、被告と今後の生活方針について話し合ったことは認めるが、その余の事実は否認する。被告は、自分も改めるべきところは改めることを約し原告に対しては暴力をふるわないで欲しいこと、今後生活の切り盛りには自分が当るからお金は自分に委せて欲しいことを希望したところ、原告は被告の希望については全然受け付けずそれでは別居だと宣言して帰ってしまった。葉書の件は被告が紛失したのではなく、被告の父が誤って他の手紙類と一緒に持ち去っていたことが後に判明した。

(一九) 同3(一九)の事実のうち、原告と被告が話し合いによる合意のうえ、同五四年三月一一日から東京都目黒区Aの官舎で同居したこと、被告が原告に帰宅時間を電話するように言ったことは認め、その余の事実は否認する。

(二〇) 同3(二〇)の事実のうち、原告が同年八月五日、単身官舎を出、被告と別居していることは認め、その余の事実は否認する。

(二一) 同3(二一)の事実は否認する。

(二二) 同3(二二)の事実のうち、被告が現金や腕時計を紛失したことがあったこと、被告を困らせようとして隠したのでしょうと言ったことは認めるが、その余の事実は否認する。右発言は冗談半分に言ったものである。

(二三) 被告が原告らとスイス・オーストリアを旅行中、ホテルで大声を出したり、A官舎に同居中、近隣に夫婦喧嘩が聞こえるようわざわざ窓を開け放ったこと、ドイツ滞在中、被告が部屋に飾ってある原被告夫婦の旅行の記念写真を破り捨てたこと、被告が、見舞に行かせまいとして、原告の靴を玄関の脇にある浴室に持っていき水の入っている湯船につけてしまったことは認めるがその余の事実は否認する。ホテルで声をあげたのは、原告が暴力を振るったからであり、窓を開けたのは、原告がわざわざ窓を閉めて被告を叱責し始めたので、これから逃れるためであった。同五四年六月一九日、このころ原告の帰宅が遅いうえ、前日給料が出ているのにこれを渡してくれないこともあって被告の気持は沈みがちであった。このため被告はお見舞の待ち合わせ場所として官舎を使うことを断る旨原告の母に伝え了承を得ていたところが、当日になって被告の申出を全く無視して原告の母が現れ、玄関内に入り内部を見渡し、「これじゃあね、帰って来たくなくなるのも当り前だわ。」とあてこすりを言うので、被告は屈辱に耐えながら「今日は都合が悪いと申し上げた筈です。」と抗議したのである。一方原告は、たまたま散らかしてある家を義母に見られたくないという被告の気持を知りつつ、原告の母を呼び入れ、その後みじめな被告を無視して二人で外出しようとしたため、被告はついこれを妨げるために原告の靴を水につけてしまった。後になって、被告は、子供じみた事をしてしまったと反省した。

(二四) 同3(二四)の事実のうち、被告が原告に対して夫婦円満調整の調停を申し立てたことは認めるがその余の事実は否認する。

(二五) 同3(二五)の事実のうち、同五五年二月七日の調停期日に、原告が婚姻費用を毎月二五日かぎり七万円支払う旨の合意が成立し、同月二五日までに振込口座を通知することになっていたが、二四日になっても連絡が入らず、原告代理人が被告の調停申立の際の代理人に連絡したところ、二五日の夕方右代理人から通知を受けたこと、早速二六日に振込んだところ、口座名義人が乙山花子であったため直ちには振込まれなかったことは認めるが、結局送金のため二度手間を踏んだこと、被告のだらしなさのために如何に原告が困却するかの証左であることは知らず、その余の事実は否認する。被告は振込手続に不慣れであるため、二五日の午前中に連絡すればよいと考えていたし、口座番号さえ確定していれば結婚前使ったことのある銀行口座を使用しても送金に差支えないだろうと考えたことによる過誤である。

(二六) 同3(二六)の事実のうち、五日でできる明渡しを理由もなく引きのばしたのであって、被告には全く協調する気がないことは明らかであることは否認し、その余の事実は認める。被告と一枝は、原告に置き去りにされたまま、官舎を明けろと言われても行くべきところがないため、引越の話がまとまり引越料等を送ってもらうまで官舎に居る以外に方法がなかったところ、やっと八月六日に話がまとまり引越料が送られてきたので引越すことができたのである。

(二七) 同3(二七)の事実のうち、原告が引越に関する概算費用として三七万四〇〇〇円を支払うこととの合意ができたこと、被告が諸費用の領収証や借家契約書を現在まで原告に見せていないこと、原告から超過受領したことは認め、その余の事実は否認する。超過受領分一二万七二〇〇円は送金済である。

(二八) 同3(二八)の事実のうち、西ドイツを発つ時、原告の荷物は原告の母方へ、被告と一枝の荷物は被告の両親方へ送ると被告が言い出し、実際にもそのように荷物を送ったこと、帰国後の別居中に原告が被告の両親方を訪れたことは認め、被告の周囲の人間が離婚の判断をしていることは知らず、その余の事実は否認する。

4  同4は争う。

三  被告の主張

1  原告が列挙している諸事実は、婚姻を継続し難い重大な事由には該当しない。婚姻を継続し難い重大な事由とは、婚姻関係が深刻に破綻し、婚姻の本質に応じた共同生活の回復の見込がない場合を言うのであり、その認定の基礎になる事実は、民法七七〇条一項一号から四号までの事由に匹敵、類似する様な事由が要求されている。ところが、原告主張の事実は、どこの家庭でも多かれ少かれ問題となることであり、一方が夫婦共同生活を拒むに足りる致命的なものはほとんど発見することができない。例えば、整理能力がない、だらしがない、家事能力がない等の点は大多数の女性について程度の差はあっても問題となることである。猜疑心が強いとか、ヒステリックであるとかを指摘するが、これも大多数の女性に見られがちの特性であり、それ程重大な欠陥とは考えられない。その他原告は被告の細い行状を挙げて被告を非難するが、そのうちの大部分は夫婦喧嘩の最中のやりとり又はその前後のやりとりであり、双方が興奮した状態で発した言辞、態度であったものが多いのであって、これらは真正面からとり上げるに足るものではない。さらに原告の列挙する事由の重点が西ドイツ滞在中の被告の言動に向けられているが、被告は婚姻後三か月で西ドイツに出発し、新婚生活を言葉もままならぬ西ドイツで始めなければならないという重荷を背負い、しかも同五二年八月には長女を出産し、以後一人で手探り的に育児という大仕事を始めることになったのであり、被告は徐々に精神的に疲労しほとんどノイローゼ寸前の状態であったところ、原告が被告を体力的、論理的に打ち負かす態度にますますヒステリックになる傾向を示したのであり、この様な場合被告のみを責めるのは不公平と言うべきである。同五四年六月一九日に被告が原告の靴を風呂につけた行為にしても、夫婦喧嘩の際であり、世間ではそれ程珍らしいことではなく、これが夫たる者の家出の原因となったり、その後の夫婦共同生活を決定的に不可能としたりするものではなく、原被告にとっても致命的なものとなったとは考えられない。

また、原告主張の事由の性質から見て、被告又は原被告双方の努力によって修復可能な状態にある。被告はこれまで原告との離婚を考えたことは一度もなく、子供のためにも再び協力して再出発することを熱望している。別居期間も長くない。これらの点からしても不治的破綻状態にあるというのは早計である。

2  A官舎で同居するようになったのは帰国以来四か月ぶりであったが、同居後は原告の暴力もなくなり、夫婦喧嘩も数える程となり、被告は本当によかったと思った時期があった。しかし今度は原告の帰宅時間が極端に遅くなったためこれが新たな悩みとなっていたが、これを除けば、原被告の関係は概して良好であった。その様な状況にあった同五四年八月五日、被告が長女一枝と散歩から帰り官舎の前まで来ると、官舎前に一台の乗用車が停車しており、原告らが原告の荷物を乗用車に積み込んでいる最中なのであった。最初被告は何が行なわれているのかわからなかったが、やがて原告が被告らを捨てて家出をしていく現場であることを理解し、気が遠くなるような衝撃を受けた。原告らは荷物を積み込むと行き先も告げず走り去ってしまい、被告と一枝は官舎に置き去りにされた。その後も原告は被告に対し居所を秘匿して被告からの連絡を封じ、さらにその後になって婚姻費用の分担金の交付をも停止し、被告を遺棄した。

また外国生活等の環境のもとで、原告は被告に対し、自己の主張が通らないことを理由に暴力行為に及んでおり、さらに右のような状況下で、被告の行動、言動を写真及び録音テープに記録するという異常な行動をとって夫婦関係の維持に反する背信的行為を行った。

仮に原被告の婚姻が破綻しているとしても、その原因は、原告の右遺棄、暴力、背信行為にあるのであって、原告は婚姻破綻についての有責配偶者である。

第三証拠《省略》

理由

一  《証拠省略》を総合すると以下の事実が認められ、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

1  原告は、昭和二四年二月二五日、甲野春夫、夏子の長男として出生し、少くとも同五〇年ころはすでに父春夫は死亡し、家族は母と妹であった。被告は、同二四年八月一四日、乙村松夫、竹子の二女として出生した。原告は脳神経外科医であり、被告は小児科医である。

2  原告と被告は、同五〇年一二月ころ見合をし、同五一年三月結納を交し、同年五月二八日婚姻の届出をし、同年六月二日挙式し、新婚旅行の後、東京都文京区において同居した。当時、原告は同年九月から二年間の西ドイツ留学が内定しており、被告は、原告の留学に同行するため、同年六月一杯で勤務を辞めた。

3  同年九月、原被告は西ドイツ、キール市へ赴き、原告は、キール大学脳神経外科の助手として同大学付属病院に勤務し、被告は勤めを持たず、家庭を守ることとなった。同年一一月ころ被告は妊娠した。同五二年五月、原被告はドイツ国内を旅行した。同年七月ころ被告は一時入院し、その後被告の父の助言により国内で出産するため帰国した。そのころ原告の母が西ドイツの原告方を訪れ、数日間を被告と共にし、被告が帰国した後も西ドイツに滞在した。被告は同年八月一日日本において長女一枝を出産し、同年九月一枝とともに西ドイツの原告の許へ戻った。同五三年四月、原告の母は再び西ドイツの原告方を訪れ、同年五月、原告がチューリッヒへ講習のため赴く際、原告の母、被告、一枝も同道し、二週間の講習終了後四名でスイス、オーストリアを一週間旅行し、原告の母は都合四〇日間を原被告らとともに過ごした。原告は、同年七月末キール大学の助手を退職した。同年八月一五日ころ、被告両親と妹が西ドイツの原告方を訪れ、原被告、一枝及び被告の両親と妹はスウェーデンウプサラ市にいる被告の姉らと合流して同年九月上旬までヨーロッパ旅行をした。ロンドンで一行は別れ、原被告らはキールへ戻り、被告の両親らは帰国し、被告の姉らはスウェーデンに帰った。同月下旬、原告は英語研修のためロンドンへ、被告はウプサラ市の被告の姉方へそれぞれ赴き、原告は英語研修を終えて同年一〇月下旬ウプサラ市で被告、一枝と合流したうえ同年一〇月二九日に帰国した。

4  帰国後、原告は原告肩書住所地の原告の母方へ、被告は被告の父方へそれぞれ帰宅し、そのまま別居状態となり、同五四年三月、原告はA中央病院に就職し、原被告は同月一一日より東京都目黒区所在のA官舎で同居し始め、同年八月五日から現在まで再度別居状態が続いている。原告は、同五五年七月三一日Aを退職し、同年八月からB病院勤務となった。被告は、同五一年七月以降同五五年ころまでは医師としての勤務をしていなかったが、同五六年ころから被告肩書住所地近くの病院に勤務している。

5  原告と被告は、新婚当初から些細なことが原因で言い争うことが多く、同居期間中、これが絶えることはなかった。その直接の原因を整理すると次のとおりである。

(一)  被告は、事務処理能力、整理能力に若干劣る面があり、そのため、家事その他の事務処理が能率的、的確でなく、家内を乱雑にしたり、物を紛失したり、湯を沸し放しにするなどの事態が度々生じた。これに対し、原告は、人一倍几帳面で清潔好きであるため、右のような状態を容認又は放置することができず、その度に被告を叱責した。

(二)  被告は若干時間にルーズなところがあり、そのため原告が迷惑を被ると、被告を叱責した。

(三)  原告は、金銭的に細い面があり、被告が、原告に無断で高額な買い物をすると怒ることがあり、その怒りは相当激しく長期間に亘るものであった。これに対し、被告には、原告が被告に生活費を渡すのみで家計の管理を任せないことについての不満があり、原告に対する反撥となった。

(四)  原告は、母、妹との心理的な結びつきが強く、被告の、原告の母や妹に対する態度に、気に入らない点があると、怒ることがあった。また、原告は、被告に対する不満を原告の母に訴えるなど、被告の立場に対する配慮を欠き、このような、原告の、母や妹に対する態度が被告の大きな不満となっていた。

6  右のような諍いは、特にドイツ滞在中に頻繁で、同五三年夏ころは連日口論が続く状態となっていた。原告にとっては、ドイツ、キール大学助手としての職責を十分に果さなければならないという厳しい条件下で家庭に憩いを求め、一方、被告は、慣れないドイツでのはじめての育児に疲れ、原告にその点の理解、協力を期待し、双方が自己の厳しい状況のため相手方に対する配慮、思いやりを示すことができなかったことに加え、前記のとおり旅行に三回、原告又は被告の家族の訪問計三回などにより肉体的精神的疲労がますます高じることとなり、些細なことで互に不満をぶつけ合う結果であった。

7  前記のような衝突は、どの夫婦にもありがちなものであるが、原被告双方が相手方の長所、短所を見極めて適当なところで妥協し、紛争を防止するということができず、ますます紛争を激化させたについては、前記のような客観状況の外、双方の性格に起因する面も否定できない。即ち、原告は、几帳面、清潔好きであり、家内の乱雑、ものごとがきっちりしないことに全く耐えることができず、一方被告が事務処理能力に若干劣ることは、長年の生活習慣のようなものであって、改善はほとんど不可能であるうえ、一度紛争が生じると原告はしつこく、口うるさく、被告は融通がきかず、感情的に原告に反撥して原告の気持を逆なでするような言動をし、原告が激しく暴力を振るい、ますます被告が反撥するという悪循環を繰り返すこととなった。

8  前記のような紛争は婚姻当初よりはじまり、ドイツに行ってなお頻繁となったのであるが、原告はそのころから、時々被告との離婚を考えることがあり、同五三年八月ころには、被告との離婚の際の証拠とするため家内の乱雑さを写真に撮り、被告の紛争時の言行をテープに録音するなどの挙動に出た。帰国後も、従前の経緯や被告の立場・心情を考慮せずに、原告の母方に居住することを提案し、結局、別居状態が続くこととなった。A官舎では、原告は、被告の要望を容れて暴力はふるわなくなったものの、被告の家事処理が依然として不適切遅れ気味であり、家内が乱雑になるなどの状態が続いたため、いら立ち、被告と口論することが度重なり、徐々に口論する気力も失せ、帰宅も深夜に及ぶようになった。同年六月下旬ころ、原告と原告の母が見舞いに行くこととなり、被告が原告の母の訪問を予め断っていたにもかかわらず原告の母が訪れて家内の乱雑さを眺めたことに逆上した被告が、原告の靴を湯船の水につけたことがあった。原告は、被告の右行動によって同居生活は無理と判断し、そのころから、真剣に離婚を考えはじめ、仲人に離婚したい旨を述べ、別居の準備を始め、同年八月五日、原告の母と妹夫婦の協力を得てA官舎から原告の荷物を引き揚げ、単身家を出、別居することとなった。

9  被告は、ドイツ滞在中、争いが絶えない状態となり、原告の暴力も頻繁であったころ、あるいは離婚せざるを得ないかもしれないと考えたことはあったが、具体的に離婚を考えたことはなく、特に、A官舎で同居し始めてからは原告の暴力も治まり、徐々に口うるさくもなくなり、ある程度平穏な日が続いたので、円満な婚姻継続を期待していた矢先、原告が単身家を出、官舎に一枝とともに取り残されて衝撃を受けた。

10  別居後、原告と被告は、調停、官舎の明渡し、婚姻費用の分担、その他の問題で何回か接触があったが、いずれも些細なことから口論となり、あるいは、合意の成立した後、紛争が生じるということの繰り返しであった。

11  被告の事務処理能力に関する欠点は通常人が許容し難いほどのものとはいえないが、原告にとっては、許容し難く、原告の几帳面な性格を改めていくことも困難であり、一方、被告が原告の望むように家事その他の事務を処理することはほとんど不可能であり、その結果今後同居しても従前と同様の紛争が続き、しかも被告の融通のきかない性格、言動からすると紛争は再び激化の道をたどるものと認められる。被告は原告に対する愛情もあり、婚姻の継続を真剣に望んではいるものの、今後の円満な婚姻生活について確たる展望は持っていない。原告は別居後の経緯から離婚の決意をなお固くし、今日に至っている。

12  一枝は別居以来、被告に養育され、特に養育上の問題はない。

二  右認定の事実によれば、原被告間の同居期間は合計三年間弱であるのに対し、別居後すでに五年間余に及び、同居期間中も口論が絶えなかったうえ、別居後も右のような状況に改善のきざしは認められず、しかも原告の離婚の意思が固いことからすると、原被告間の婚姻は破綻し、回復の見込がないものと認められる。確かに口論の原因は、通常の夫婦であれば、歩み寄り、諦めるなどして婚姻を継続することができるような些細な事柄にすぎない。しかし、これを原因に口論に至り、かつ争いを激化させる原因となっている原被告の前記認定の性格、言動が、容易に変化する見込のない以上、双方の妥協し難い性格の相違から生ずる婚姻生活の継続的不和による破綻は婚姻を継続し難い重大な事由に該当するというべきである。被告は、原告の暴力、写真撮影及び録音行為、家出及びその後の被告の行為による遺棄行為が破綻の原因であると主張する。前記のとおり原告の右行為が破綻の一因となったことは否定し得ず、破綻につき原告にも責任があることが認められるが、前記認定の事実及び右に述べたところから明らかなように、破綻の原因は、被告の家事等の事務処理の不適切、融通のきかない言動にもあるのであって、原被告の責任を比較して婚姻破綻の責任が主として原告にあるものとは認められない。

三  ところで、原告は、離婚に伴う慰藉料の請求をしているが、右に述べたように破綻の原因が原被告双方にある以上、右請求は理由がない。

四  よって、原告の離婚の請求は理由があるから認容し、原被告間の長女一枝の親権者を被告と定め、原告の慰藉料の請求は失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 岡部喜代子)

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